【要約】「働く悩みは経済学で答えが見つかる」働く意味を学び、悩みを解決【丸山俊一】

今回は、
NHKエンタープライズエグゼクティブ・プロデューサー
慶應義塾大学経済学部卒の
丸山俊一さんが書かれた


「働く悩みは経済学で答えが見つかる
 ~自分をすり減らさないための資本主義の授業~」


を解説していきます。


この本は一言でいうと、
「現代の経済の疑問」を
「過去の偉人たちの考え方」を通じて
解決できる本です。

 

 


現在は変化の激しい時代と言われます。

しかし今、目の前にある新しい問題も
実は古い時代からすでにあった問題であったり
あるいは古い時代にあったことに
ヒントが隠されていたりします。


本書は、
「過去の多くの偉人たちと対話する」という形式で
現代の問題を考えていく本になっています。

今回の記事は、
マルクス」と「アダム・スミス
の話に絞って取り上げていきます。


この記事を読めば、
「働く」と「幸せ」の本質を
知ることが出来るでしょう。

 

マルクス先生

 

人間の原点にあるのは働く喜びであり
労働の喜びこそが人間の活力の源


マルクスは、
「人間の原点にあるのは働く喜びであり
 労働の喜びこそが人間の活力の源」
だといいます。


しかし現代で
「労働が喜びだ」
という風に感じている人は少ないでしょう。

なぜ私たちは、
「労働が喜びだ」
という風に感じられないのでしょう?

 

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「資本家」と「労働者」


マルクスは、
「生産手段を持つ人と持たない人が生まれ
 その差が圧倒的な違いとなるのが資本主義の本質だ」
と突き止めました

簡単に言うと、
「資本家」と「労働者」という
2つの階級が生まれるというわけです。

 

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「使用価値」と「交換価値」


もう一つマルクスが語った中で
重要な概念が


「使用価値」と「交換価値」


です。


例えば、
外資系IT企業にコンサルタントとして転職をし、
給料が2倍になったという人がいたとします。

この話を聞くと羨ましいと感じますよね。

ですが給料があがった本人には、

「自分自身は全く変わっていないのに
 自分の労働単価は2倍になるってどういうことなんだろう?」

という疑問が湧いてくるかもしれません。


そこで出てくるのは、
「実は価値には2種類ある」
という話です。


まず「使用価値」についてです。

これは、
「人間にとって役に立つことに基づいている価値」
のことで、


例えば、

腕時計の使用価値なら
腕につけて移動でき、
どこでも時間を教えてくれる。ということです。

メガネの使用価値は、
目が悪い人でもそれをかければ
目が良く見えるようになることです。

つまり「使用価値」とは、
「そのもの本来の価値」のことです。


つぎは、
「交換価値」です。

これは、
その商品を生産するのに
「どれくらい労働時間が必要であったか」
によって測られるものです。

簡単に言うと、
「他のものと交換するための価値」
です。


ですので、
先ほど話した、

外資系IT企業にコンサルタントとして転職をし、
給料が2倍になったという人は、

お金で表される「交換価値」が
2倍になったわけです。

その人はその人のままなわけですから
その人の労働の「使用価値」は変わっていない
と言えます。

 

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「労働者」は「阻害」されている


給料をもらえることは、
もちろんありがたいと感じつつ
「自分の仕事に一体どんな意味があるのか?」
と言う、いわゆる「働きがい」を
感じられないという人も多いかもしれません。

これが、「疎外」の問題です。


自分自身の「労働」「働く」という行為は
当然、自分自身のもののはずです。


そうした労働者に属していたはずの「労働」が、

当の労働者自身にとって、
実感が得られないものとなってしまい

さらに労働者を支配するような状況が
生まれてしまっている

としたら、
「これは大問題だ」
マルクスは言いました。


資本性の社会では、
多くの場合
生産物は労働者のものではなく、
資本家のものになります。

労働者が商品を多く作れば作るほど
そのぶんだけ労働者自身の
労働力も安い商品となってしまいます。


忙しく働けば、
残業代で多少給料は増えるかもしれません。

しかし
それでもより多くの富を得ているのは、

「資本家」

ということになります。


それだけでなく、
労働者は労働そのものからも
阻害されてしまいます。


労働が労働者本人に
属するものではなくなっていると、

阻害された人は、
喜びだった「労働」が
苦痛としか感じられなくなります。


現代では、
多くの人々が自分の仕事に対して
何かしらの不満違和感を抱いているかもしれません

それはマルクスの定義では、
「労働」ですらない「苦役」ともいえるものです。

 

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アダム・スミス先生

 

経済的な成功は実は優しい


アダムスミスといえば、
「経済学者」というイメージを持つ人が多いでしょう。

しかし実は、
そもそもアダムスミスの時代には
「経済」という学問分野がありませんでした。

本来は、
「道徳哲学者」だったのです。

経済と道徳と言うと、
非常に遠いイメージがありますよね。

しかしアダムスミスにはすれば、

「経済=豊かさへの道」と
「道徳=倫理的な生き方への道」は
一致しうると言うのです。


それは、
真実で堅固な職業的能力が
賢明な正しい確固とした
節度のある行動と結びつけば、

「成功し損なうことは滅多に無い」

と言えるわけです。


多くの人の職業上の成功は、
周りの人たちの評価によって決まります。


つまり商売の成功は、
一定程度の道徳を必要としますし、

また道徳的であれば、
結果的にそれは、
商売の成功につながり得るわけです

 

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分業ではなく労働の分割


文明が進みに反映している国々では、
全く働かなくても働いている人々に比べて
時には10倍、場合によっては100倍もの
労働生産物を消費するようなことがあります。

いわゆる「お金持ち」の存在です。


それでもなお、
その社会全体の
労働によって生まれる生産物は、
とても豊かなので
全ての人々に対する供給も十分の場合が多く
最も貧しい階層の人々ですらも
倹約家で勤勉な姿勢を維持したりすれば、
未開の地に暮らす人々が獲得できるよりも多くの
生活必需品の分け前を享受できるようになっています。


それもまた、
分業の精神による
社会の文明化の実現のおかげです。


「分業」という言葉自体には、
生産過程を無駄なく進行させるための
効率性向上の意味合いを
イメージする人が多いでしょう。

ですが、
「division of labor」
という言葉は、

「労働の分割」

と訳す方が
ニュアンスを取り逃がさないでしょう。

社会的に意味のある
社会を構成している労働を
分かち合う、という意味

ここが重要だと言えます


社会全体の労働の分割
この社会を構成している労働を分かち合う
という労働感があり
それが維持されれば、 

先ほどのマルクスの話で出てきた
疎外も生まれないはずです。


文明社会には、
富の不平等が存在しがちです。

しかし文明社会では、
この「労働の分割」によって
自然と生まれてくる
多方向への自由な生産活動の結果
自然な競争が促されて
労働生産性も高まることとなりました


その結果
全ての生産物はすべての社会構成員を
養うことが可能となっているんです。


さらに、
最下層の人々ですら
未開社会の人々よりも
多くの生産物を消費できるというわけです。